父の七回忌も何とか終える 法事で人生の終わらせ方考えてみた

2016-06-20

七回忌-20160605

2010年6月10日に亡くなった父の七回忌を6月5日に終えることができた。親類親戚には連絡せずに家族だけの七回忌で十分な法事ではなかったのは父には申し訳ないが、不甲斐ない息子のすることだと父はわかっていただろうから許してくれるだろう。

人生の終わらせ方 終活

父は脳梗塞で倒れ、10日間入院の末に病院で亡くなった。2週間くらい前から私は父のちょっとした異変を感じて2度ほど救急車を呼ぼうとしたのだが父に鬼のごとく怒られた。父にあれほど怒られたことがそれまでにない。

1度実際に救急車を呼んだ時に「いかない」と拒否、救急車を追い返したのである。その後「勝手なことするな!」と父に殴られた。人生の終わり方は自分で決めるということだったのかな。活動してないので終活ではないが、父なりの人生の終わらせ方だったのかもしれない。

人生節目の言葉

七回忌の日、父との思い出を思い起こしていたのだが、家族でどこかに出かけたとか、旅行に行ったとか、子供の頃どこかにあぞびにいったとかは思い浮かばなかった。確かにあちこちに連れていってもらったし記憶にはもちろんあるのだが、それよりも私の人生の節目節目でもらった言葉が思い浮かぶのである。

父は日頃口数も少なく無口な男だったのだが、私の人生の節目でポツリと貰った言葉が浮かんでくるのである。私もあまり父には悩みごとの相談とかしなかったのだが、私の心情、何を考えているかを見抜いたタイムリーな言葉を投げかけてくれたのだ。

その言葉が独特というか意表をついたものが多く、普通はこういうだろうというものはなく、世間一般ではダメな方向のアドバイスをもらった気がする。決めるのは自分、後で後悔するのも自分、なら自分が楽な方を選べといったことを言われたことがある。

私も8月で53歳になるが会社の役員・社長でもないし、いつまでも時給なんぼのただの作業員、社会的地位のない世間からすればダメ人間となるのだが、これもまた人生で自分が楽のほうを選んできた結果である。ただこれまでの人生で悔いが残るかと言えば別に残らないし、負け惜しみ、言い訳かもしれないけど結構楽しい人生だったなと思っている。

私の人生の終わらせ方

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著:鈴木 正哉
終活エンディングノートに記載する事柄に法的効果をもたせ、自分の希望を叶えながら配偶者、子孫に感謝される人生の引き継ぎ方法を詳しく紹介終活エンディングノートを書いた方、書いている最中の方、これから書こうと思っている方に

いくら自分の楽な方を選べばよいといっても、そこには家族・周りの人間に迷惑を極力かけないという大前提があるわけで、やっぱり父のような終わらせ方がいいのではないかと思っている。私の場合お金がない(苦笑)ということもあるが、ぎりぎりまで普段の生活に近い日を送りたいものだ。

葬儀・法要・法事に関しても私はいらない。家族に負担がかかるわけだし、だいいち亡くなってからお金かけてもらってもうれしくもなんともないのである(笑)人生ひっそり終わりたい。まあこれまでの人生結構ひっそり生きてきたのですけどね。

私がよく思うのは、葬儀とか七回忌などの法事法要て残された家族、生きてる者のために行うのかなと、亡くなった人が与えてくれたものに対しての感謝の意味をこめて行っているのではないかと思うのです。

だから私は人の為に何か役に立つことをしてるか?と考えた場合当然NOですからそんな感謝される筋合いはない(笑)ということになります。人の役にたつこととか楽ではないですからね。ボランティアなんて高尚なこと私には無理だし。

と、父の七回忌のお経を聞きながらなんだか取り留めのないことを考えていたのですが、質素で最低限の七回忌しかできませんでしたが無事に終えることができました。次は十三回忌ですか・・・世間では七回忌で終わりなんてところもあるみたいですがどうするかな・・・自分の楽な方を選ぶか・・・なんてね(苦笑)