父の百か日と施餓鬼法要
朝からお寺の施餓鬼法要に初めて行ってきた。
13日が父の百か日なのだが、お住さんが12日に施餓鬼会がお寺であるのでそれで一緒にしましょうということなので、百か日も一緒にしてもらった。
まあ、百か日自体はやらないところも多い様なので、私はお寺さんに来てもらうつもりはなかったのだが、一緒にしてもらえるということなのでお願いした。
10時から始まるのだが、9時過ぎにお寺に到着。お寺の前は幹線道路ですでに数台路上駐車している。先日用がありお寺に来たとき、住職が寺の前に駐車するとものの5分で反則切符を切られるということを聞いていたので、檀家の世話役?の方が路駐するスペースを確保?してくれたのだが丁重にお断りして、100円パーキングを探しにいく。
パーキングから5分ほど歩いてお寺に戻ると、弟がすでに受付を済ませて経木塔婆を受け取って本堂に入っている。
我家は祖母と父、そして先祖代々の3枚の経木塔婆をお願いしていた。
他の檀家さんには7枚ほど経木塔婆をもっている方もいる。ちなみに1枚(1人)●●●●円・・・書くのはやめとこ 苦笑
椅子が100席程度置いてあるのだがすでに満席、おかんがタオルでキープしていてくれた席に着くとおかんが何やらブツブツ言っている。要約すると、受付を済ました後に戒名を書いた経木塔婆を受付と別の場所で受け取るシステム?になっていたようなのだが、受付係りの方に聞くとちょっと待っていてくださいといわれたので受付のところで待っていたそうなのである。
その間に後からきた人が受付を済ませ、さっさと別の場所へ行き経木塔婆を受け取っていたそうだ。「20番くらいやったのに・・・」経木塔婆と一緒に番号が書かれた札を渡されるのだが、おかんがもっている札は27番。要するに順番を抜かされたのを怒ってるのね。苦笑、この段階で私はこの札に書かれた番号の意味が全く理解できてなかった。
また何故に受付の人が「ちょっと待っていてください」といったのかは謎であるが、多分得意のおかんの突拍子もない問いに対しての答えだと思うのだが、おかん本人は何をどのように係りの人に聞いたのか覚えてないだろう。
おかんはこのタイミングで何でその質問やねんということが多々あるから、推測するに受け付けの人の答えは多分その質問に対して正当な答えなのだと思う。
そうこうしていると、施餓鬼法要が始まった。南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 ・・・ とゆっくりとしたテンポの副住職の南無阿弥陀仏の中、住職をはじめとしてお坊さんが6名入場?してきた。
そもそも施餓鬼とは何なのか、私はほとんど知らない。要するに、無縁の霊など彷徨ってる霊に救いを施すということなのだろうか。餓鬼に施す、食?施す?、ということなのかなあ。それが広い意味で三界万霊に救いを施すということなのかも・・・施餓鬼法要の儀礼を見ている(聞いている)とそのようなことを言っているようだ。
シンバルのようなものを鳴らしたり、ドラのようなものを叩いたり、木魚を叩いたりと中々にぎやかである。聞いていて気がついたことがある、木魚のリズムは“後ノリ”だ。あと何か紙のものを撒いている。あれが供物(食物)に見立てたものなのかな?違うか・・・
一連のお経や儀式が終わって続いて、何やら番号が呼ばれている。あ!ここで先ほどの番号札の意味がわかった。呼ばれた番号順にその一家が持っている経木塔婆が住職の前に並べられている。一家毎に一枚一枚経木塔婆に書かれている戒名を住職が読み上げ、御経?を唱える。住職の横で一家が読み上げられた経木塔婆を受け取り、施餓鬼棚に立て掛けてしきびの葉で水を手向ける。そう、我家は27番目に登場?ということだ。
1番から順番に進むのだが、一家で7枚程度の経木塔婆がある家も多数あり結構時間がかかる。始まって40分程度たったのだろうか、ようやく我家の登場である。おかんが住職から経木を受け取り、私が施餓鬼棚に立て掛けしきびの葉で水を手向ける。ちゃんと父の番では百か日も唱えていただいた。
ちなみに百か日もしていただくのでお供え(おかき)を持っていったのだが、ちゃんと供えられているのかおかんはチェックしていた。解かるように名前も張ってあったそうだ。 苦笑
我家の施餓鬼も無事終了。誘導されて別室でおにぎりと味噌汁をいただく。う~ん中々システマチック・・・部屋に入ると何番目でしたかと聞かれる。どうやら本堂に入りきらない方がこの部屋で待っている様で進行状況を知るために何番目が終わったのか聞いているようだ。その一家の札を見てみると・・・97・・・さっさとおにぎりを頂き部屋を後にする我家であった。
車をお寺に回して、お寺を後に。帰りの車中おかんが「ほんまは20番やったのに・・・でも27番でも早いほうでよかった」とすっかり怒りが収まった様子 :emo3: 「一軒で1万として100件で・・・」などと計算している様子 爆
それを聞きながら私は「次は前日から先乗りか・・・システムもわかったし次は完璧や・・・いやもうけえへんわ」と思っていた。今回初めて施餓鬼法要に来たが、父の百か日があったからというのが正直なところ。まあ、いい経験させてもらったということで・・・
途中いつものライフで買い物する。大量のパンと買い物時間の長さに弟は呆然、苦笑い。「いつもごくろうさん」とお言葉をいただく。午後2時ごろ家に帰宅、眠い Zzz
あとは10月の納骨式でひととおり終わりか・・・
ディスカッション
コメント一覧
順番抜かしされると嫌な気持ちになるよねぇ・・・
うちの母も同じやわ!
お供え物はちゃんとチェックしてる
まあ年を取ると自分が蔑ろにされてるという気になりやすいんかもね・・・
その場におらんかったからなんともいえないけど
百か日のことやお布施も用意してたから係りの人も住職をおよびしてと思って「ちょっとまって・・・」と
いいはったんちゃうかな・・・
施餓鬼のことだけならそのままいったんでしょう。