父の命日に考える 私は直葬、法事法要なしでお願いします

2011-06-10

父の命日に考える 私は直葬、法事法要なしでお願いします

今日6月10日は父の命日。早いもので父が亡くなってから1年経つ。丁度これくらいの時間、悲しむ間もなく通夜・葬儀の準備で慌しかったのを思い出す。

一周忌の法要は2週間前の5月29日に行った。本来、一周忌は命日に行うのが常のようなのだがお寺さんの都合と家族の都合で2週間も前に行った。

なんだか生きてるものの都合だけで本当の意味の供養じゃないようでちょっと後悔している。平日でも今日行うべきだったのかもしれない。

家族のための供養になってるのかな

最近よく思うことがある。私が死んだ時は通夜も葬式もなしで、直葬にしてほしい。別に宗教を否定するわけではないし、法事・法要も大事な供養だと思うのだが、『死んでから金使ってもらってもねえ・・・』が本音である 苦笑

私はやりたいことを好き勝手やって生きてきたから“勝手に成仏します”て感じです。行いが悪かったので地獄行きでしょうが・・・

私の親の年代ではそうは行かないみたいで、やはり三回忌、七回忌、十三回忌、十七回忌ときっちり年忌をおこなわないとダメみたいですね。

ただ親の年代の親戚は減っていき、先日おこなわれた叔父の七回忌で私のいとこは七回忌で切り上げるといってました。だんだん法事法要が減っていく傾向にあるのかもしれませんね。

また、私の職場の30代イケメンの同僚(笑)も、私と同じようなことを考えているようで、やはり“直葬でお願いします”とのこと 苦笑。若い年代ほどそういう考えが多いのかもしれませんね(私は若い年代ではありませんが)

何も年忌だけが供養ではないでしょう。ちょっとしたときに故人との思い出をふと思い出すのもいい供養なんじゃないでしょうかね。私は、『あ~そういえばそんなヤツもおったなあ・・・』と少しでも思い出してもらった方がうれしいです、何よりもの供養ですね。