無言のキャッチボール 父が脳梗塞で倒れた

2010-05-31

無言のキャッチボール 父が脳梗塞で倒れた

今朝、父が脳梗塞で倒れた。4,5日前から右足右手の動きがぎこちなかったのだが・・・「医者に行こう」と説得しても頑として「行かない」と怒る。元々医者嫌いということもあるのだが、私や弟に迷惑をかけまいと思い「死んでも医者には行かない!」と言っていたのだと思う。

4,5日前からトイレに行くのに不自由だったので私が手を貸そうとしても「何でもない!」と怒鳴られた。今朝も伝い歩きながら自力でトイレに行き、そこで床に座り込んで動けなくなってしまったのだ。昨日まではこちらの呼びかけにちゃんと応答していたのだが、言葉も出なくなってしまった。慌てて抱きかかえてベッドに寝かせ、救急車を要請した。

病院に搬送され検査、左脳のかなりの広範囲に梗塞が認められ、右手足、言葉に麻痺が・・・かなり厳しい状態で医師によれば、いつ何時呼吸を司る脳の領域に梗塞が広がり、自発呼吸が困難になるかわからない状態である。

医師には自発呼吸が困難となった場合、人工呼吸器をつけるか、人工呼吸器をつけないかの決断を急ぐように言われた。脳梗塞により死んでしまった脳細胞は元に戻ることはなく、再び自発呼吸を取り戻すことはない。

人工呼吸器をつければ本人の意識がない状態でも生命を維持できる(心臓の状態にもよるが)。一度つけた人工呼吸器をはずすことは現在の法律ではできない。どんな状態でも、過す時間は増えるが、家族の精神的、経済的負担はどうしても増える。

本人の意識がはっきりしているなら本人の意志で決めることなのだが、父の場合はそんな状態ではないので私や母、弟で決めることとなる。父の意識がはっきりしていれば間違いなく「人工呼吸器はつけるな」だろう。私たちの結論は当然「つけてください」。そう医師にお願いした。治療の方は点滴により梗塞範囲が広がらないようにするのみ。父の運と体力に頼るのみである。

病室に入り、母と弟は入院の準備の為一旦家に戻った。残った私は父のベッドの横に座りずっと父を見ていた。父は自分の身に何が起こったのか理解できないのかしきりにぼんやりとした視線で周りをキョロキョロ見渡している。

私はこうして父と二人っきりで対面して向かいあうのは何年ぶり、いや何十年ぶりだろうかと考えていた。同居はしていたが、父も私も無口だし、あらためて二人で向き合うことなどなかった。

しばらくすると急に父がカッと目を見開いて私を見た。言葉はなかったが明らかに表情は怒っていた。「なんで連れてきた!」と言いたいのだろう。私は「もう逃げれないで、観念しい」と言った。こころなしか父の口元が笑ったような気がした。そしてプイっと違う方に顔を向けた。

私は中学を卒業し、高校に入学する前、家の近くの神社で父とキャッチボールをしたことを思い出していた。父は私に野球をさせたかったのである。本当ならもっと早くリトルリーグにでも入れてさせたかったのだが、経済的に厳しかった。

それでも高校入学前には、グローブからバットなど道具一式揃えてくれていた。2週間程度、野球などしたことない私が少しでもなれるために、仕事から帰ってきてからキャッチャーをしてくれたのである。

めちゃくちゃな投げ方ながら地肩は強かったので結構速い球を投げていたから手が腫れたり、突指したりしていた。それでも毎日相手をしてくれた。まあそれが祟って入学時にはもう肩を壊していたが・・・苦笑

ひょっとしてそれ以来かもしれない、父と二人きりで向かいあうのは・・・無言のキャッチボールではあるが、今度は親不孝な息子がキャッチャーをするばんだなと思った。そう思うと父の顔がぼやけて見えた。