日本のロックの元祖 忌野清志郎 死去

2009-05-03

忌野清志郎

奇抜な衣装と演出、「愛し合ってるかーい!」「ベイベー!」などの決め台詞で知られる日本のロックの元祖、草分け的存在である、忌野清志郎さんが2日がん性リンパ管症のため死去した。

忌野清志郎さんはリーダーを務めていた“RCサクセション”で70年に「宝くじは買わない」でデビュー。72年に「ぼくの好きな先生」、80年には「雨あがりの夜空に」が大ヒット。その反面、音楽的ポリシーから歌った、反原発など政治的メッセージを含んだ曲が発売禁止になることがあった。

RCサクセション 忌野清志郎は青春の真ん中に

日本のロックバンド、日本語で表現するロックの原型を作った人で、権力への反骨をストレートに表現するのではなく、さりげなくユーモアにつつんで表現している。

我々40年代からすると、中学から大学あたりでRCサクセションとしてのヒット曲が生まれているので、忌野清志郎、RCサクセションの曲と青春時代の思い出とがダブる人も多いのではないだろうか。派手なライブパフォーマンスと裏腹に、時折垣間見れるシャイな人柄が印象深く記憶に残っている。

雨あがりの夜空に

40代半ばである私も高校時代に、「雨あがりの夜空に」や「トランジスターラジオ」などRCの曲をよく聴いて、口ずさんでいた記憶がある。

また通っていた大学の学園祭のオールナイトライブにRCサクセッションが出演しており、「ピンク大学最高だぜぇ~~~!」と清志朗が叫んでいたのを思い出す。(ピンクとは色の事。大学名にその色が入っている。)

青春時代の思い出(この言い方自体オヤジくさいのだが)の片隅にいる人が、いなくなると言うのは非常にさびしく、残念なことである。

しかし、2006年に喉頭がんがみつかって以来、がんばってがん治療に臨み、一度は武道館ライブで復活した清志朗の姿には、「青春時代の思い出」などと振り返ってばかりいないで、まだまだこれからだと勇気付けられる。

忌野清志朗さんはこんな風に、「自分もしっかりしなければ」と彼の音楽を聴く人に思わせる様な人だったように思える。まだまだ、忌野清志朗の生のパフォーマンスをみたかったけど・・・

ご冥福をお祈りいたします。